【自己紹介】あなたの「変わりたい」に、僕のすべてで向き合う理由

こんにちは。パーソナルトレーナーの加賀美迅人です。
この記事は、僕がどんな人間で、どんな想いでパーソナルトレーナーという仕事をしているのかをお伝えするために書きました。
フリーターだった僕がトレーナーになり、これまでに3つのジム立ち上げを経験し、独立するに至るまでの物語です。そして、僕自身の人生を大きく変えた「30kgの減量体験」についてもお話します。
お客様、そしてこれから出会うかもしれないあなたに、僕のことを少しでも深く知っていただけたら嬉しいです。
挫折だらけのスタートライン
コンプレックスと「太りやすい」自分との戦い
僕は千葉県柏市で生まれました。小さい頃から運動は好きでしたが、同時に物心ついた頃からずっと、自分の体型がコンプレックスでした。運動会で一生懸命走れば、揺れる体を見て笑い声が聞こえる。何気ないクラスメイトの一言に「太った?」というニュアンスを感じ取り、”公開処刑”のように感じてしまう。そんな少年時代でした。
とにかく飽きっぽく、やりたいことしかやらない「わがままボーイ」だった僕ですが、中学ではバスケットボールに夢中になりました。部活に打ち込むことで一時的に体重は落ちるものの、引退すればあっという間にリバウンド。それどころか、運動をやめた反動で以前よりも体重は増え、自己嫌悪はさらに深まるばかり。
高校に入学し、陸上部の投擲種目(やり投げ、円盤投げ)を始めたことで、本格的なウェイトトレーニングと出会います。やればやるだけ体が変わり、数字が伸びていく筋トレの面白さにのめり込み、仲間と非公式の「筋トレ部」を作るほどでした。しかし、僕の体は「太りやすく痩せにくい」体質だという思い込みは、常に心のどこかにありました。どんなにトレーニングをしても、少し油断すればすぐに体型が崩れてしまう。この「太る」ことへの恐怖とコンプレックスは、常に僕につきまとっていたのです。
フリーターから、憧れの世界へ
自分の体を大きくしたい一心で、趣味で解剖学や栄養学の本を読み漁り、友人にトレーニングを教えるのが「楽しい」と感じ始めたのもこの頃です。しかし、トレーナーという職業はまだ遠い夢物語でした。
高校卒業後、海外留学に憧れて英語の専門学校に進学したものの、卒業後は「留学資金を貯める」という名目でフリーターに。地元のスーパーで惣菜の値引きシールを貼るアルバイトをしながら、その日暮らしの毎日。そんな中、「ジムが無料で使えるから」という安直な理由で、24時間ジム「エニタイムフィットネス」での掛け持ちバイトを始めました。
そこで生き生きと働くパーソナルトレーナーの姿や、同じくトレーナーを目指す同僚の姿を目の当たりにし、高校時代の「楽しさ」が蘇ってきます。ちょうどその頃、大学に通う地元の友人たちが就職活動を始め、何の目標もなく生きる自分に、初めて漠然とした将来への不安が襲ってきました。「このままじゃ、ダメだ」。そう思った僕は、初めて本気でパーソナルトレーナーへの道を志すことを決意したのです。
理想と現実のギャップ、そして挫折
勢いと少しばかりの自信を胸に、都内のセミパーソナルジムに就職。しかし、そこでの現実はあまりにも過酷でした。入社後わずか数日の研修で現場に放り込まれ、一人のトレーナーが同時に3人のお客様を見るという環境。お客様一人ひとひとに向き合いたくても、知識も経験も、そして時間も圧倒的に足りない。
自分の無力さを痛感する毎日。「お客様の体を良くしたい」という想いとは裏腹に、何もできない自分が悔しくて、何度も「辞めたい」と思いました。憧れだった仕事は、早くも挫折に変わろうとしていました。
-30kgの減量。僕が手に入れた「本当の強さ」
自分自身の体で、証明するしかなかった
「このままじゃダメだ。お客様の体を預かる人間が、自分自身のコンプレックスすら克服できていないなんて、あまりに無責任だ」
挫折の淵で、僕はある決意をします。それは、長年僕を苦しめてきた「太りやすい自分」との戦いに、本気で終止符を打つことでした。
トレーナーとしてお客様の前に立つ以上、この体型では説得力がない。それ以上に、幼い頃から何度も繰り返してきたダイエットとリバウンドの連鎖を、ここで断ち切らなければ、僕は一生自分を好きになれない。そう感じていました。
これは、単なる減量ではありません。流行りのダイエットに飛びついては失敗してきた過去の自分との決別であり、「太りやすい体質だから」と諦めかけていた自分への挑戦状でした。
仕事の合間や休日を全て費やして猛勉強した解剖学や栄養学の知識。これが本当に正しいのか、僕の人生を変える力があるのか。それを証明する舞台は、僕自身の体以外にありませんでした。
僕は自分の体を“最高の実験台”と捉え、知識に基づいた食事とトレーニングを徹底的に実践していきました。
- 朝食は必ずタンパク質を中心に、しっかり食べる
- 間食はナッツやヨーグルト、プロテインで空腹をコントロールする
- 水分を1日2リットル以上摂り、代謝の土台を作る
- 一駅手前で降りて、意識的に歩く距離を伸ばす
最初の数週間、体重計の数字はほとんど変わりませんでした。でも、不思議と焦りや不安はなかった。「これは“知識”に基づいてやっているんだから、絶対に大丈夫だ」と、心の底から初めて自分を信じることができたのです。
手に入れたのは、数字以上のもの
半年後、僕の体重はマイナス30kgを達成していました。
鏡に映る自分に、思わず息を呑む。どんな服もそれなりに着こなせるようになり、フェイスラインは驚くほどシャープになりました。でも、本当に変わったのは体だけではありません。
「ダイエットは、自分を罰することじゃない。自分の心と体を、一つひとつ丁寧に大切にしてあげることなんだ」
この気づきこそが、僕が手に入れた一番大きな財産でした。そして、この-30kgの減量体験が、トレーナーとしての僕の「本当の強さ」になったのです。お客様の「痩せたいけど、どうしたらいいか分からない」という痛みを、過去の自分と重ね合わせ、誰よりも深く理解できるようになったからです。
3度のジム立ち上げと独立への道
先輩との出会い
自分自身の体で結果を出したことで、少しだけ自信を取り戻した僕のトレーナー人生は、一人の先輩との出会いによって、再び大きく動き出します。
僕が就職したジムでの初日研修、その担当者が、後に僕のトレーナー人生に多大な影響を与えることになる先輩でした。圧倒的な知識と経験を持ち、お客様から絶大な信頼を得ているその先輩の元で働くことになった僕は、技術指導はもちろん、仕事に対する姿勢や社会人としての哲学を一から叩き込まれました。「お客様の体に触れる仕事は、それだけ責任が重いんだ」という言葉は、今でも僕の心に深く刻まれています。
そしてトレーナー2年目の時、その先輩から食事の席で突然こう告げられます。「独立して自分のジムを出すから、一緒にやらないか?」。一度しか研修で会ったことのない、まだ未熟な僕を誘ってくれたことが、とにかく嬉しかった。僕は二つ返事で「やります!」と答え、憧れの地、表参道でのジム立ち上げに参加することになったのです。
3度の立ち上げと、芽生えた決意
しかし、表参道に「隠れ家」をコンセプトにしたジムをオープンした直後、コロナ禍が日本を直撃。緊急事態宣言で集客はままならず、オンライン指導に切り替え、ジムに住み込みで何とか売上を立てる日々。しかし経営は厳しく、わずか1年でジムは閉鎖。自分の力不足と社会の厳しさを痛感し、ただただ悔しい思いをしました。
その後、ありがたいご縁に恵まれ、横浜の白楽で2度目のジム立ち上げに挑戦します。「今度こそ失敗できない」と、商店街の駅前で『トイ・ストーリー』のウッディや宇宙人の格好でチラシを配るなど、なりふり構わず泥臭い努力を重ねました。その甲斐あってジムは軌道に乗り、トレーナー人生で最も多くのお客様を担当させていただきました。この白楽での経験が、僕をトレーナーとして大きく成長させてくれました。
さらに会社が大きくなる中で、三鷹に3店舗目を立ち上げるという貴重な経験もさせてもらいました。ここではほとんど一人でお客様のトレーニングからカウンセリングまでを担当し、自分の実力やトレーナーとしての現在地を客観的に見つめ直す良い機会となりました。「もう先輩の力を借りなくても、一人でやっていけるかもしれない」という自信と、「自分の理想とするトレーニングをもっと突き詰めたい」という想いが、この頃から芽生え始めていました。
独立、そして新たな挑戦へ
2023年、僕は尊敬する先輩の元を離れ、フリーランスのパーソナルトレーナーとして独立することを決意しました。
多くの失敗と成功、そして数えきれないお客様との出会いを経て、「自分の力で、もっと多くの人を助けたい」という想いが、日に日に強くなっていったのです。ここまで来れたのは、僕を信じてくれたお客様、厳しくも温かく指導してくれた先輩、そして共に汗を流した仲間たちのおかげです。この感謝の気持ちを忘れず、これからは新たな挑戦を続けていきます。
僕が目指すのは、身体から「新しい可能性」を拓くこと
きっかけは身体、ゴールは「未知への挑戦」
4年間トレーナーとして無我夢中で走り続け、様々なお客様と向き合う中で、僕の考えはある一点に集約されていきました。
それは、トレーニングのゴールは、単に身体を変えることではない、ということです。
-10kg痩せたい。腰痛を改善したい。美しい姿勢を手に入れたい。
その目標が達成された時、お客様の人生に何が起きるか。新しい服に挑戦したり、諦めていた趣味を始めたり、人前に出るのが楽しくなったり…身体の変化は、それまで自分を縛っていた”見えない鎖”を断ち切り、「新しい自分」に出会うためのきっかけに過ぎません。
僕自身の-30kgの減量体験もそうでした。身体が変わったことで自信がつき、トレーナーという未知の分野に飛び込む勇気が湧きました。一つの成功体験が、次の挑戦への熱量になる。僕は、この「挑戦の連鎖」を生み出すことこそ、パーソナルトレーナーとしての本当の価値だと信じています。
身体のことなら、どんな悩みでも僕がサポートします。しかし、僕が本当に届けたいのは、その先にある、お客様自身の「新しい可能性」なのです。
あなたの「良いところ」を見つけるプロであり、最高の応援者でありたい
ある時、お客様から「加賀美さんって、絶対に人の意見や話を否定しないし、いつも良いところを見つけて褒めてくれますよね」と言われました。
自分では意識していなかったのですが、僕は、その人自身も気づいていないような「良いところ」を見つけ出すのが得意なようです。それはきっと、僕自身が長年コンプレックスと戦い、多くの失敗を繰り返してきたから。人の痛みや葛-藤が、痛いほどわかるからです。
今の世の中は、SNSを開けば自分より輝いて見える誰かと比べて落ち込んだり、自分らしさを見失ってしまったり、多くの人が生きづらさを感じています。
だからこそ僕は、あなたのパーソナルトレーナーであると同時に、あなたの「最高の応援者」でありたい。
トレーニングを通して、まずあなた自身が持つ素晴らしい個性や強みを見つけ出し、それを最大限に引き出すお手伝いをします。身体だけでなく、置き去りにしてきた自己肯定感を一緒に高めていく。そして、あなたが「やってみたい」と思う未知の挑戦を、心から応援する。それが僕のパーソナルトレーニングです。
「変わりたい」その想いが、すべての始まり
現在は、都内を中心にフリーランスのパーソナルトレーナーとして活動しています。ありがたいことに、お客様の9割が運動初心者の方や、運動が苦手だと感じている方々です。だからこそ僕は、専門用語を並べ立てるのではなく、一人ひとりの心と身体に寄り添い、まずは「これならできる」「楽しい」と感じられる、その小さな成功体験を何よりも大切にしています。それが、あなたの人生に「挑戦の連鎖」を生み出す、輝かしい第一歩になるからです。
今後は、この場所でお会いする方々だけでなく、もっと多くの人に「挑戦する勇気」を届けるために、文章やSNSでの発信にも力を入れていきたいと考えています。僕自身の物語や、お客様と共に創り上げてきた変化の物語を通して、正しい知識だけでなく、一歩踏み出すことの素晴らしさを伝えていきたい。未知への挑戦を応援し合える、そんな温かいコミュニティを広げていくのが僕の目標です。
もしあなたが、過去の僕のように自分の体にコンプレックスを抱えていたり、何度もダイエットに失敗して自信を失っていたり、何から始めていいか分からずに立ち尽くしてしまっているのなら、どうか一人で抱え込まないでください。
完璧じゃなくていいんです。周りと比べる必要もありません。大切なのは、昨日よりもほんの少しでも前に進もうとする、その小さな一歩です。
「変わりたい」というその気持ちこそが、あなたの「新しい可能性」の扉を開く、唯一の鍵なのですから。
迷った時、不安になった時は、いつでも僕を頼ってください。
僕もずっと一人で悩み、失敗し、遠回りし続けてきたからこそ、あなたの気持ちが痛いほどわかります。あなたの辛さや葛-藤を、誰よりも深く理解できると自負しています。
さあ、一緒にあなただけの理想の未来へ、そしてまだ見ぬ可能性への旅へと、一歩踏み出しましょう。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この記事のタイトルを10個考えて、タイトルを見ただけで読みたくなるよな魅力的なタイトル